プロフィール

秋津さや

【取得資格】

臨床心理士

銀座コーチング プロフェッショナルコーチ

ブリーフセラピスト ベーシック

【年齢】 50半ば
   28歳(娘)、25歳(息子)、22歳(娘)の母

【趣味】 ジム通い 読書 カフェでまったり ふらっと旅 夫とリノベーション事業

50歳で第二の人生をスタート

幼少期から生き辛さや親子関係で悩みを抱え、結婚後も夫婦関係、子育て等で長年悩む。
46歳で離婚。パート主婦から起業。

自分一人で不安な頃に経営者だった夫にサポートしてもらったのがきっかけで、50歳で再婚。

第二の人生を歩み始めたばかりです。

夫に勧められて、銀座コーチングの認定コーチを取得。

更に「もっと心理について学びたい。」と50歳で臨床心理士を目指すために大学院受験を決意しました。

心理学の勉強は0から独学。3ヶ月後の初めての受験では不合格。
「私の歳で本当に合格できるのだろうか?」不安で押しつぶされそうになりました。

しかし、夫が家事を一手に引き受けてくれ、受験勉強に集中し、5ヶ月後にシニア特待で大学院に合格。
その後臨床心理士を取得し、現在は心療内科クリニックに勤務しております。

しかし、40代までの過去の私は…

そんな私の過去は誰にも甘えることができず、いつも「誰も分かってくれない」「孤独で寂しい」人生でした。

過去は問題オンパレードの孤軍奮闘の人生だったのです。

産まれて来なければよかった

私は忙しい商家に産まれました。私が産まれた頃は商売が大変軌道に乗っていました。

母は、妊娠中も商店でいつも通りに働く日々。
いよいよ生まれるとなって病院に行き、私を産むとそのままお店に戻って仕事をこなしたそうです。

病院から退院した赤ちゃんの私と2歳上の兄は放置状態。私はミルクを一人で飲むように座布団をあてがわれましたが、上手く飲めずに泣いてばかり。

2歳の兄は泣く私を何とか静かにさせようとしたのでしょう。私に座布団をかけ、赤ちゃんの私は何度も窒息しかけたそうです。

仕事に忙しい両親のもとで「頼るな、甘るな」の環境で育ち、気付くと無感情の子に育っていました。

そんな環境から「私は産まれてこない方が良かったんじゃないか」と思い込んでいったようです。

通信簿は1か2

そんな環境のせいなのか、食べることに興味がなく、「スイカと海苔だけで育った」と母が冗談で言うほど偏食でした。

小学校入学時はガリガリ。背も学年1小さかった。

小学校入学時の身体測定の時のことです。

看護師さんは骨と皮だけの私の上半身を見て、思わず「気持ち悪い」と口走りました。小さくても女の子である私はとても傷ついた事を覚えています。

躾もする時間がなかったのか、手洗いや洗顔は学校で知りました。家ではTVが子守でした。
初めて目にした国語の教科書に感動し、世の中にはこんな素晴らしい読み物があると感動したものです。

発達は遅れ、精神年齢が低く、小学校2年まで成績は1か2。さすがの親も塾を考えましたが、出来が悪く塾に断られました。

塾に行くための家庭教師をつけ、大学生のお姉さんが優しくて、勉強が楽しく、1年ほどで周りに追いつけるようになりました。

勉強は平均になったのですが、自分の気持ちを感じたり、気持ちを言葉にしたりすることは苦手で、非常に大人しい目立たない子どもでした。

体が小さく、小回りが効くので、かけっこ、鉄棒、跳び箱、木登りなどは大の得意でした。

小4からお母さんになる

小学校4年生の夏休み。

大好きな従兄弟のお姉さんの家に行き、叔母と一緒にハンバーグを作りました。叔母さんとハンバーグを作る過程で「お母さんの温もり」を初めて知りました。ハンバーグは美味しくて美味しくて。
食べることがこんなに「楽しい」のかと感じた瞬間です。

早速、家に帰って両親にハンバーグを作りました。とても喜んでくれました。

このことから「人の役に立つ事が出来た」と実感。

「人の役に立てば自分は存在してていい」と思えました。

その日から私は「小さな主婦」になりました。小学校から帰るとランドセルを放り投げスーパーに直行し、夕食の作り。高校からは家族の朝食と自分のお弁当作りも加わり、大学入学まで主婦業を続けました。

ところが大学に入って彼氏ができます。すると、家の事をするのが馬鹿らしくなりました。

「もう何もしてくれないのね」本当にがっかりしたように母に呟かれました。

家の手伝いをしない「役に立たない私はやっぱりダメな子なんだ」と感じ、実家には居場所がないと思いました。

23歳で結婚後、歯車が狂っていく

主婦代わりで家事をしなくなった事で、家で自分の価値を失ったと感じた私は、「早く結婚して実家を出たい」とばかり考えて始めました。

仕事が第一の母への反発か、専業主婦で子ども第一に育てることが人生の目標になりました。

大学卒業後、商社に就職、職場結婚。3人の子どもに恵まれ、子育てが生きがいになったところまでは理想通りだったのですが…。

結婚した夫は、子どもに関心が在りませんでした。私は子ども中心の生活、夫は子どもはいらず、夫婦2人で楽しく暮らしたい。結婚生活の幸せの目的のベクトルが全く違っていたんですね。子供が生まれればきっと可愛くなるだろうと安易に考えていましたが、そうはいきませんでした。

そんな状況で子育ては上手くいくはずがありません。

歯車はどんどん狂っていきます。

次々と襲ってくる問題

それでも夫に子育ての期待をし、上手くいかず、やっぱり「夫も頼れない」

また、苦しみの世界に入っていきます。

私の生きがいは子育てだけになりました。

誰にも頼らない孤軍奮闘の子育てで、自分の理想の子どもに育てようと子どもをコントロールし…。

娘の摂食障害。
夫婦不仲。
息子の不登校に引きこもり。

次々と問題に襲われていきます。

「どうしたらいいの?」

両親や周りの人には頼れず、民間の電話相談を何百件。何十件もの相談所も足を運びました。

問題は解決しません。

引きこもりの息子は、昼夜逆転のゲーム三昧。どんどん言葉が出なくなっていく。死んだような目になり、独り言を言っている。と思うとゲームで大きな声で発狂。

息子が壊れていく。

それからは、どんどん心理に興味を持ち、学ぶことに夢中になりました。

離婚、フリーランスに

心理を学んでいくと、いよいよ夫婦問題に向き合わざるを得なくなりました。

何度も修正しようと試みましたが上手くいきませんでした。

いつも「離婚」が頭の隅にありました。

3人の子どものお母さんである私は「離婚なんて許されない」と思い込んでいました。

ところが、カウンセラーに「もう充分やったんじゃないの?」と言われ、一気に全身の力が抜けていく経験をしました。

「自分を許していい」
「自分を生きよう」と決意。
46歳で離婚しました。

対話があれば乗り越えられる

私が「自分を生きていい」と人生の大きな一歩を踏み出せたのは、再婚した夫のおかげです。

一人で抱えていた苦しみ(親のこと、夫婦関係、機能不全家族、前職でのパワハラ)を今の夫が、じっくり全て聞き切ってくれたからです。まさに対話でした。

対話を続けていると、いかに自分が偏った考えに支配されているかに気づかされます。

もちろん、事実としてあった嫌だった体験をなかった事にする必要はありません。「嫌だったこと」は仕方なかったことではありません。「嫌なものは嫌だった」としっかり認識し、自分の内側から吐き出す事で消化されていきました。消化され、かすり傷になりました。

 しかし、まだまだ残っていた母との辛い過去。50歳でとうとう母との問題に直面化。

被害者意識で、ずっと母を憎み、心の中で恨む一方で、母の前ではずっといい子を振る舞っていました。「親には感謝しなくてはいけない」「親に自分の気持ちをぶつけてはいけない」と思い込んでいたのです。初めて母とぶつかり、気持ちをぶつけてしまいました(ぶつけずに処理することをお勧めします)。墓場まで持って行こうと思っていた自分の思いを伝えたことで、一時的に断絶状態になりました。
その後、和解し、現在は関係性もよく、両親を大切に思えるようになりました。

一人で抱えないこと、対話をしてみませんか?

人間は産まれて、そしていつかは死んでいく。その過程で楽しいこと、悲しいこと、様々な経験をします。

何のために生きているのか?の問いに対して、「色々な体験をして、色んな感情を味わうために生きているんだ」今なら分かるようになりました。だからこそ、今のこの一瞬一瞬を大切に生きることの積み重ねが未来を作るんですね。

苦しい時や孤独な時、一人で考え続けていると、どんどん悩みにはまっていきます。なぜか自分だけに不幸が続くように感じ、悪いことしか考えられなくなります。

私自身も何度も何度も経験しています。

ーそんな時こそ、対話をしてみませんか?

まずは人に話す(放つ)ことで気持ちが楽になります。

対話を通して少しずつ、狭い視野が広がっていきます。

私のように、苦しいだけだと思っていた人生ストーリーが書き換えられていきます。

私の強みは対話を使って、しっかり寄り添うことです。

話すだけでも心は軽くなります。まずはご相談下さい。

カウンセリングをご希望の方もお問合せください。

コーチング(目標達成)でなく、まずはじっくりお話を聞いて欲しいという方もお問い合わせください。